僕が渡米を決心したのは20歳の時。米国で英語を習得すれば、世界を股に掛け何かできるかもしれないと漠然とした気持ちでした。当時、日本で通っていた大学を辞め、米国の大学に編入、そこで実践的な会計学を専攻し、2004年に学士号を取得しました。学生時代にはビジネスの世界に憧れ、会計やビジネスの関連書を読みあさっていました。しかし、いざ会計職に就いてみると、なぜかしっくりこない。いろいろ試行錯誤をして楽しもうとしてみたけれど、どうしてもしっくり来こない。そうして一年が過ぎたころ、転機がやってきました。
ある日、ふと立ち寄ったCD屋で手に取った一枚のアルバム、そのジャケットが妙に印象的で衝動買いしました。当時は知らなかったけれど、それはギターの巨匠、アンドレ・セゴビアの若き日の姿でした。早速、家に持ち帰ってCDを聞くと、セゴビアの演奏はもちろんのこと、何よりもギターの音色そのものに感動し、それまで感じたことのない興奮が込み上げてきました。その音楽は衝撃的で、心の奥底に響き渡り、瞬時にクラシックギターこそ僕の進む道だと確信しました。暗闇にパッと光がついたような素晴らしい瞬間でした。当時、僕は25歳でした。
音符すら読めなかったけれど、あふれる好奇心を原動力に時間があれば音楽の勉強に打ち込みました。仕事後の練習は4時間と決め、読書の代わりに楽譜を読み、毎日自分を追い詰めて練習しました。仕事が繁忙期のときは帰宅が真夜中になることも多々ありましたが、それでも家に帰ってから1時間はギターを触っていました。同居人に邪魔にならないようにと、弦をミュートにしての練習は不満足になりがちでしたが、可能な限り弾きました。思い起こしてみると、僕にとって希望に満ち溢れ最高に楽しい時期でした。
それから一年が過ぎ、自分ひとりでの練習に行き詰まりを感じ始めたので、指導を仰ぐことに決めました。ひとつの考え方に捉われないよう、また、音楽性や演奏技術に加え、音楽家の生活や考え方にも興味があったので、できるだけ多くの先生から指導を受けようと思いました。
結局、僕は5人の先生と巡り会いました。音楽と真剣に向き合っている先生達との出会いから、僕も真正面から音楽と向き合い、朝から晩まで音楽と向き合っていたいという思いが強くなってきました。そこで僕は先生達に会計職を辞め、ギター一本で生きていく事についてどう思うか訊きました。4人の先生は、安定職があるのならそれを続けながら趣味でギターを突き詰めてゆけばいい、と言いました。確かに現実的なアドバイスでしたが、そういう考えはなぜか説得力がありませんでした。今思えば、結局僕の中ではすですでに答えが出ていたのだと思います。
そして、5人目に会ったKevin Gallagher氏との出会いが、踏み出せなかった僕の背中をポンっと押してくれたのです。彼はまさに音楽に人生を捧げているような生活を送っていて、かつそれに完全に満足しエンジョイしていました。彼に僕の演奏を聞いてもらい、音楽の道を目指したい気持ちを伝えると、何のためらいもなく「それはすばらしい。君ならきっとできるだろう。」と言ってくれました。それを機に、僕は音楽家として生きていくと心に誓い、その第一歩として音楽大学を受験することを決めました。
受験までの10ヶ月間、僕はそれまで以上に真剣にギターに向き合いました。職場の人たちにも受験することを伝え、受からなかったら僕は日本に帰ると言い切り、背水の陣でこの受験に臨みました。Kevin氏の指導、職場の仲間の支えもあり、僕はManhattan School of Musicの大学院に合格することができました。音楽に関連する学士を持たずに、大学院に受かることはまれで、僕の周囲の人たちはとても喜んでくれました。安定職から音楽の世界へ行くのは一般的に反対されることが多い中、僕には応援してくれる人たちがいて本当に恵まれていると思いました。そして、ようやく音楽の世界へのゲートが開き、それからの学生生活がどのようになるのか楽しみでした。
しかし、僕の期待とは裏腹に2年間の学生生活は失敗の連続で、数え切れない程の挫折を経験しました。入学当初、本物の演奏技術経験からのみ身につくものだと信じ、ひたすら音楽に邁進しましたが、失敗が連続すると自信を失い、自暴自棄になりました。また、他の生徒と自分を比較するたびに劣等感ばかり募り、そういう気持ちでする演奏は最悪でした。自信を失い途方に暮れていた時、僕は大学の教授の一人であり、絶対的に信頼していたKenneth
Cooper氏(バロック音楽において世界的な権威があるチェンバロ奏者)に、どうすれば思うように演奏することができるのかを相談しました。するとKenneth氏はやさしく笑って「諦めないことだよ」と言いました。当時70歳を超えていたKenneth氏から伝えられた「諦めない」という言葉は僕の心に響きました。それは彼自身が向上心を持ち、日々の努力を怠っていないことを物語っていたからでした。その「諦めない」という言葉に支えられ、どのようしたらよくなるのかを考えるようになりました。
大学では驚くほどたくさんのことを学びました。その当時、こうやって好きなことを同志と共に学校で学べることほど楽しいことはないと思いました。以前、会計学を学んでいた際にはそのことに気づきませんでしたが、学校とは本来同志と切磋琢磨し向上していくものではないかと思ったのはこの頃です。そして無我夢中に楽しく学べたお陰で、驚くほど演奏技術が身についていきました。この経験によって僕の今の指導方法があるのだと思います。何かを学ぶときには楽しくなくてはいけない、教えるときには学生に楽しんでもらう、これが僕の今の指導方針のモットーになっています。
大学卒業後、本格的に演奏活動を始めました。演奏ができるのであれば、老人ホーム、病院、学校、パーティー、結婚式、教会など、どこへでも行きました。演奏会では常に出会いがあり、お客さんとの触れ合いは僕の原動力へと変わりました。そういう中で、僕はVoux
Novusという現代音楽を推進する団体とコラボレーションをする機会が増えました。現代音楽とは今を生きる作曲家が現代の社会を肌で感じ、その感覚・思想の表現であり、つまりは現代の産物です。そういう音楽を演奏することは本当にやりがいがあり、また心が躍る経験でした。
2009年からVoux Novusとコラボレーションを始め、多くのギター独奏曲及び室内音楽を演奏しました。2011年にはギタリストとして世界で初めて15 Minutes of Fame を演奏しました。これは一分間の曲を15人の作曲家から提供してもらい、ひとつの作品として初演をするものです。そこでは世界的に活躍する若手日本人作曲家の藤倉大氏から、作品「スパークス」を提供していただきました。また、NY州およびTN州のギターフェスティバルでも演奏する機会を頂くことが出来ました。
その後、転機は次々と訪れました。2011年、Voux Novusを介して、NY市で活躍するチェリストのSusan D. Mandel氏と出会い、チェロとギターの織りなす音色に惹かれ、Duo
Anovaを結成しました。チェロとギターのコンビネーションは稀で楽曲も少ないですが、結成以来多くの作曲家とコラボレーションをし、共にその可能性を模索し続けています。Duo
AnovaはComposer’s Voice Concert Seriesの100回記念コンサートでの演奏を皮切りに様々な演奏会に出演しています。そして2014年1月27日、Voux Novus主催によるカーネギーホールでのコンサートへの出演が決定しました。
思い起こせば、2005年に手に取った一枚のCDをきっかけに、僕の人生は180度変わりました。あの日から数え切れないほどの失敗を乗り越え、自分そして音楽の可能性を信じ続け、一日も欠かさず練習してきましたギターと向き合ってきました。今回、カーネギーホールという晴れ舞台に立てることは本当に光栄です。邁進し続けた8年間の集大成を皆様に聞いていただければと心から願っています。